まったく新しいOSに対応させるとなれば、開発に大きな労力が必要となることが予想された。加えてこの道を選ぶには、新しいOSの供給者が必要だった。ROMに収めて組み込む方針が定められていたベーシック以外の言語を提供するためには、マイクロソフトは道を選ばざるをえなかった。
 だがさまざまな要素が複雑に絡み合った問いに、一発でけりを付ける絶妙な解が、ワシントン湖の対岸に転がっていた。
 シアトル・コンピューター・プロダクツというハードウエアメーカーのために8086を使ったマシンを開発したエンジニアのティム・パターソンは、一六ビットに対応したCP/M―86の開発が遅れ遅れとなっていることにしびれをきらしていた。
 デジタルリサーチからの発売をこれ以上待っていられないと考えたパターソンは、一九八〇年四月、自分で8086用のOSを書きはじめた。業界標準がCP/Mであることを承知していたパターソンは、CP/M―86が完成するまでの取りあえずのつなぎと割り切ってCP/Mをそのまま一六ビットに対応させ、名前も自虐的にQDOS( Quick and Dirty Operating System )と付けた。シアトル・コンピューター・プロダクツは自社の名前を冠して、これをSCP―DOSと呼び替えた。
吉川市 歯科



このサイトは無料ホームページ作成.comで作成されています